北海道歴史探訪

札幌とスケート

山本 裕雪 = 文

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2012.2.20

今では北海道の冬のスポーツを代表するスキー、スケート。どちらかといえば、スキーの方がポピュラーな印象があるかもしれません。しかし、スケートはスキーよりも早く北海道に入ってきています。

のちの北海道大学である札幌農学校において、教師として活躍したウィリアム・ブルックスという人物がいました。

彼はアメリカの農学者でした。お雇い外国人として、日本政府より札幌農学校の農学教師、および校園監督として招聘を受け、1877年・明治10年1月に来日し、クラーク博士の仕事を引き継いだ人物です。

この1877年にブルックスによって、北海道に始めてスケートがもたらされました。同時にそれは、日本に始めて入ったスケートでもありました。記録では札幌農学校の小川の上に張った氷を滑ったとあり、国内で初めてスケートが行われたことが記されています。

ブルックスについで、スケートを海外から持ち込んだのは日本人でした。初めてスケートが行われたときから、14年後の1891年・明治24年、札幌農学校の第2期生であった新渡戸稲造が、アメリカからスケートを3足持ち帰ります。

このスケートは、おそらくアメリカのメーカー・ウインスロー社のものだと考えられています。普通の靴に取り付けて滑る機械スケートといわれるものでした。

稲造は学生にもスケートを貸し与えて、自身もスケートを滑りました。場所は農学校に小川、豊平川の川下、さらに北海道庁の前庭といったところでした。何分にもスケートは3足しかありません。学生たちはスケートを取り合って滑ったといいます。

こうした動きから、市民のたちの間にもスケートに興味を持つ者が出てきます。人々は商店を通じてスケートを購入しようと四苦八苦したと伝わります。

その後、稲造の持ち帰ったスケートを元に、札幌でスケートが製作されるようになっていきました。また、輸入品が運動具店で取り扱うようになり、スケートの普及が広まっていきます。

この時期から輸入品では、スケートが3種類販売されています。スピード・フィギュア・ホッケー用があることを知った人々は、地場でも3種のスケートを製作していくことにします。

このようにスケートが普及していくと、その次に必要なのは大きなスケート場でした。

明治24年に、北海道庁の前庭などで滑られ始めたスケートでしたが、スケーターが増え、大勢が滑るようになると手狭になってしまいました。

明治27年には、現在の札幌市中央区北1条東2丁目にあった札幌工業所の池を利用してスケートが行われます。ついで明治29年には、中島公園の池でスケートがされるようになっていきました。

このころはスケート場といっても、単に氷が張った池というだけのものでした。除雪や整氷といった作業は、スケーター自身がその都度やるといった具合で、その整氷の精度も決して高くはありませんでした。

また、スケートを楽しめる期間も決して長くはありませんでした。12月から1月中旬くらいが旬の時期で、2月になれば部分的に氷が解け始め、水のようなリンクを滑ることもあったといいます。

北海道・札幌で初めて整氷されたリンクが登場するのは明治37年。札幌農学校構内のエルムの木の陰に作られたスケートリンクでした。主に札幌農学校の生徒たちが技を磨くために利用されたと伝わります。

大正時代に入ると、スケート場は近代化していきます。大正9年、中島公園の池がリンクとして使用されるようになります。翌年1月にその運営主体として札幌スケート協会が発足すると、冬期間通してスケートが楽しめるようになりました。

公園は池の東側をスケート場に整備。使用料金はシーズンと当日のみで分けられました。1925年・大正14年から、滑り納めの2月11日・紀元節の日に氷上カーニバルを開催され、様々に仮装した市民がスケートを楽しみました。

次第に除雪面積も拡大していき、やがて400mトラックも作られるようになり、大きな大会も開催されています。

昭和の時代になり13年には、地上に散水をして人口的にアースリンクといわれるものが登場します。これにより地上の面積さえ確保できれば、どこにでもスケートリンクができるようになりました。

札幌で代表的なリンクは円山競技場リンクと中島野球場リンク。北海道の中心競技場として機能していきます。

しかし何といっても北海道・札幌にとってスケートのエポックとなったのは、昭和47年の札幌オリンピックであったといえるでしょう。

スケートリンクに関しては、真駒内に400mパイプ野外スケート場ができ、また、1万人もの観客を収容できるアイスアリーナも完成。さらには月寒に4千人を擁するインドア施設、美香保には2千人を擁するインドア施設も誕生しました。

北海道のスケートは、ブルックスによる導入から新渡戸稲造の導入、札幌農学校の生徒たちによる普及から市民への普及。スケート場は、北海道庁前庭の池から札幌工業所の池、そして中島公園の利用というステップを踏んできました。

いずれにしても、この寒い冬にをして楽しむといった気持ちがスケートを育ててきたともいえるでしょう。

<次ページへ続く>

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